2018.10.1.NUUAMM浜松ライブ

だいぶ時間が経ってしまったけれど、10月の大切な記録として。

 

NUUAMMのCDはあんまり聴かない。たまーに、しっかりとすべての感覚を音楽に集中して聴く。そうしないと、勿体無くて。毒にも薬にもならないって言い方があるけれど、NUUAMMの音楽は、毒か薬にしかならない。聞き流せない。NUUAMMの音楽はそのくらい自分にとって大切なもの。

そんなNUUAMMの浜松・福厳寺というお寺でのLIVEに行った。

 

向かう電車の中で久しぶりにNUUAMMのアルバムを聴く。大井川や天竜川が前日の台風の影響で見たことない程に増水してる。台風一過で空気が澄んでるのか、富士山のシルエットが電車からくっきり見える。段々と西の空が赤くなっていって、NUUAMMを聴きながら見る夕陽はちょっと言葉にならない美しさだった。移動するのが全く苦にならないこの感覚。久しぶりの感覚だった。


浜松駅に着いたらもう暗くて、そこでちょうどアルバム最後の曲で。

最後の語りを聴いたらもう泣きそうになってしまった。おまじない。そう、NUUAMMはおまじない。

 

 暴風雨の被害が大きかった浜松は会場一帯も停電真っ最中。お寺の入り口が分からないくらい暗くて、唯一ぼんやりとお寺の中から漏れてくる灯りがたより。

最小限の灯りの中、みんな何となくヒソヒソしゃべって、それがこれから始まるNUUAMMのLIVEにぴったりだった。暗い中、カレーとコーヒーなど飲み物の出店もしていて、お腹空いてたのでありがたかった。


カレーの具もよく見えないけど、ひっそりと食べながら待つ。「なんか避難所みたいだね」って声も聞こえてきた。おトイレに行くと、市子さんとマヒトさんの練習してる音が聴こえてきた。

 


少し時間を押しておふたりの登場。そこからはもう特別すぎるNUUAMMの時空間だった。電気を使わない完全な生音だから、ふたりをきゅっとまーるく囲んで耳を澄まして聴く感じ。でも、音が小さいとは全然思わなかった。

 


一曲目から心のど真ん中に届きすぎて涙鼻水出てきて困った。いや、困らなくていいんだ。べつに、音楽聴いて涙鼻水たらすのって、変なことじゃない。

普段、無かったことにしてるような繊細な微細な感覚を、ここでは解放していいんだって思える音空間。


この日のNUUAMMは少し隙があって。全ての音楽って肉体のある人間が奏でてるんだなぁ。そこが愛おしいなぁ。って思った。私の位置からは市子さんが音と本当に楽しそうに戯れている様子が真正面から観えた。

 

私はこのLIVE観ながら、電気が使えなくなって、食べる物もなくなってやることなくなったら、ろうそくの光で皆んなで輪になって歌えばいいなって思った。輪にならなくても、そこらで、好きな格好で。歌わなくても聴くだけでも。

カレーでお腹満たされた状態で思うことなんてキレイゴトかもしれないけど、でもいつかそういう時が来たら、私はそうしたいなって思った。

 

帰り道では、電気ってとても便利だし私も夜道が暗すぎるのは怖いし、そもそも電車が動かなくてはLIVEにも行けなかったんだけど・・・駅の蛍光灯が明るすぎてくらっとした。こんなにも明るくしなくたって暮らしていけるな。暗いってことが人を落ち着かせることもある。

 
正直、最初真っ暗な夜道からお寺に辿り着いた時は、「こんな時にLIVE」って、少し思った。けど、「こんな時だからLIVE」だった。

 

わざわざ電気を消してロウソクの灯りだけでやりましょうっていう作為でもないからこその、この日だけの特別な空間に身を浸したことは今後の私に大きな影響があると思う。 


本当に行ってよかった。NUUAMMのおふたり、主催者の方々、お寺の方々、素晴らしい時間をありがとうございました。開催に感謝します。

 

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あまりに大切な体験すぎて、ブログに書かないでおこうかなって思った。けど、もしかしてこのありがとうが伝わるなら。

 

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