植本一子『家族最後の日』を読んだ

『かなわない』を読了したその日に図書館へ行って『家族最後の日』と『降伏の記録』を借りた。amazonで注文するのももどかしく(今月はお金を使う予定が結構あるしで)『家族最後の日』を読み始める。

家族最後の日

またすごい勢いで読んで、今は『降伏の記録』を読んでいる途中。

 

自分の生活にまつわる色んなことをこんなふうに正直に書き留めてみたいと思う。しかし、果たして、例えばこのブログに書くとして、ここまで書けるだろうかと想像してみると、無理だ。

 

この本を読んでいると、自分も実家の家族について、今のottoとの生活について、どうしても考えてしまう。こんなに状況や環境が違うのにリンクする思いが沢山ある。

 

そして、この本の中にもあるように、そんな日々の思いは書き留めでもしなければ、どんどん忘れていってしまう気がする。それが勿体無く感じて自分のための少し丁寧な日記というのを書いてみようかいう気持ちになる。

 

 

めまいがしそうなほど(という表現ではまったく生ぬるいほど)の毎日の中で、でもやはりふたりの子供を産んで育てているという圧倒的な力というか輝きがあって、それがまぶしい。そして、だからこそ「子供を産んで育てたからといって自分の根底にあるものが変わるわけではない」という事の重さが迫ってくる。

 

それは子供に関してだけではなく、全てに関してそうだと思う。「これをやったら自分は変わるかもしれない」は幻想だ。

 

それを真摯に見つめた人ならではの誠実さに惹かれる。実名でリアルタイムで色んなことを克明に書くことの是非は、ちょっと今の私には手に余るテーマで、よくわからない。それに否を唱える人がいるのも理解できる。

 

でも、やはりこの人から目が離せない。