あと1週間もしないうちに、今年も終わる。
そんな中、個人的理由で精神的に最低最悪なのだけれど、凄い作品を観てしまったので居てもたっても居られずにこれを打っている。
大好きな韓国人アーティスト、イ・ランさんのエッセイの中でこのスタンドアップ・コメディのタイトルが出てくる。
「話し足りなかった日」イ・ラン
このエッセイも、読み応えがあるというか割とヘヴィな内容で中々読み進められなかったが、年末の焦燥感の中、なぜか先週全部読んでしまった。もちろん、重いばかりの内容では決してないのだけれど、どんどん自身のことについて正直に語るようになってきているイ・ランさんの文章は、かなり胸に突き刺さるものがあった。
そして、今年一番ぐらいに絶望を感じた昨日の夜、布団にくるまりながらスマホでNetflixを開いて
「ハンナ・ギャズビーのナネット」を観た。
スタンドアップ・コメディのジャンルに振り分けられている1時間ほどのコンテンツで、イ・ランさん経由でなければ決して辿り着けなかっただろう。前半でハンナの語りのリズム、皮肉、ジョークのセンス、間、キュートでかっこいいキャラクターに完全に参って「これはすごい!」と思って観ていたら、後半は寝転がって観ていることができなくなり、布団を出て、正座して、盛大な涙・鼻水とともに嗚咽しながら観終えた。
あんまり、こういうことは思わないのだけれど、これは今を生きる人類全員、観た方が良いのでは、と思った。
でも、実際にリアルでこれを勧められる人が私にはあまり居ない。どうして、こうなってしまったのだろう。それが今回の絶望の原因でもある。
それでも、絶望の中で、歳の近いハンナが感情を爆発させながらこの世界に怒り、そして「怒りで皆をひとつにしたくない」と語っているのを観たことが、確実に私の中の何かを救った。本当にありがたい。
私はハンナが語っているのを観て自分が昔から「男性が作った物」に興味が持てないことや、たくさんの男性の中に入ることが怖いことを、もう素直に認めようと思った。男性を嫌っているのではない(うーん、基本的には嫌いなのかもしれない。それも認めよう)、怖い。そう思うに至る出来事が、あったことも抹殺しない。その出来事のことを「大したことではない」と平気なふりをすることもしなくていい。そして、その上で(たぶん)異性愛者であることの矛盾したような感覚。
そういうものがあぶり出されて、決して気持ちがよいだけの涙ではなかったが、イ・ランさんのエッセイ、ハンナ・ギャズビーの作品を観て感じたことは、これから実生活で誰かと語ったり分かち合えたらいいなと思う。それができなかったら、ひっそりここに書くかもしれない。
「ダグラスに捧ぐ」は、もう、完全に芸が極まっていて、凄まじかった。「ナネット」の後に、ほとんど完璧ではないか。今私は自身の気持ちの中に何かを笑えるような余裕は一切ないと感じる状態なのに、笑ってしまった。
ともかく、年末年始に何観るのがよいかなぁ、なんて人に届いたら嬉しいな。
乱文ですが・・・
良いお年を。